コレクションハイライト

パブロ・ピカソ

14歳のとき、一家でバルセロナに移ります。この頃からすでに異常な画才を示します。初めてパリに出るのは1900年。「青の時代」と「サーカスの時代」を経て、07年に《アヴィニヨンの娘たち》を制作中にセザンヌの作品とその絵画理論にふれ、ブラックと共にキュビスムの探究を始めます。第一次大戦中に写実的な肖像画を描き、20年にモニュメンタルな古典的裸婦像を制作して「新古典主義時代」が始まります。25年頃からはシュルレアリスムの影響を受けますが、夢や無意識界の素材を写実的に再現するシュルレアリスムの絵画観にはなじめませんでした。36年にスペイン内乱が勃発。翌37年にスペインのフランコとファシズムの暴挙に抗議して《ゲルニカ》を制作しました。第二次大戦中はパリに留まり、戦後に南フランスのアンティーブやヴァロリスに居を構え、さらにカンヌに移ります。死ぬまでつねに新しい展開を示し、20世紀美術の代表者の位置を保ち続けました。

拡大《腕を組んですわるサルタンバンク》

パブロ・ピカソ

《腕を組んですわるサルタンバンク》

1923年  油彩・カンヴァス

©2024 - Succession Pablo Picasso- BCF (JAPAN)

ピカソは、第一次大戦中に訪れたイタリアで古典古代の美術や文化に触れ、強いインスピレーションを受けました。結果として1918年から描かれる対象が、古代彫刻のような壮麗さを持つ新古典主義の時代に入りました。この作品はこの時期の終わり頃に制作されたものであり、いわば集大成としての完成度を持っています。
ここで描かれているのは、サルタンバンクと呼ばれる大道芸人です。イタリア語の「サルターレ・イン・バンク(椅子の上で飛び跳ねる人)」を語源とし、古くからフランスで使われてきた言葉です。彼らは、縁日などを渡り歩いて即興の芸を見せていました。
力強い黒い線、洗練されかつ迫力のある色彩のコントラスト、安定した構図の巧みさ、清潔感に溢れたサルタンバンクの表情などは、ギリシア・ローマ時代の古代彫刻に通じる造形美を持っています。ここでピカソは、芸人への憐憫の情を抱いて描いているようには見えません。むしろ芸人は、新しい時代を先導する英雄のごとき凜々しさを身にまとっています。そこには、伝統的な美を、自らが試行錯誤して洗練させた結果としての新しい手法で乗り越えようとする画家の意図が重ね合わされているようです。
この作品は、かつて20世紀を代表するピアニストで美術品の収集家としても知られていたウラジーミル・ホロヴィッツが所蔵しており、自宅の居間を飾っていたことが知られています。

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《腕を組んですわるサルタンバンク》